葉山時間

Column

nomad spirit #01 豪放磊落 〜大きな気持ちで穏やかに細かいことは気にしない〜

ここ何年か “葉山” がブランド化しているような気がしている。勿論、御用邸がある位だから風光明媚であることは間違いないが、それにしても京急の日帰り旅行やドライブがてらに来る人々の多いこと。それに伴い、今風の店も出来てはいるが数はしれている。

某テレビ局の番組タイトルではないが “何故あなたは葉山に来たの”と思ってしまう。

鎌倉や鵠沼のように名所が多い訳でもなく、観光客目当ての店もないのに。今の世の中、特に日本の都会は情報が溢れかえり、便利すぎているのではないかと時々思う。

六本木も昔は両手の指で足りるほどの店が点在した。静かな隠れたる遊び場であった。それが再開発という破壊行為で跡形もなくなった。時々思い出し、懐かしく思うのは歳のせいだからか。

さて、葉山に話を戻そう。生活者として日常の買い物には困らない。散歩は海でも山でもコースは沢山ある。近代美術館で芸術に浸り旨いコーヒーを飲むこともできる。つまりこのほどほど感こそが人々を引きつけているのではないだろうか。

町の大きさもほどほど。どこの店でも顔なじみの店主がいる。

小腹の減った子供が、観光客と混じってコロッケを食べる光景ものどかである。ヨットに乗らずとも、発祥の地の住民や訪れた人々は浜から見て楽しむことが出来る。ほどほど感が葉山の魅力であり、そこに流れる時間こそ “葉山時間” ではないか。

ストレスの溜まる世の中ではあるが葉山の生活をしている人々、訪れる人々共に豪放磊落な人々になってほしい。それこそが”葉山時間”からのプレゼント。

僕もそんな ”葉山時間” の流れの中、建築のプランニング、絵の製作、ファブリックなどのアートワークをしているが、この原稿を書いて気がついたことがある。今まで住んでいた場所が国内、海外共にほどほどな場所で、自然を思う存分感じる環境であった。余計な情報が入ってこない方がアートワークに向いている。ハワイのフラやインドのヨガの愛好家が多いが自然からのパワーを貰い、感謝していることに共感しているからだろう。これは世界中で形こそは違い行われていることだ。現代の恩恵を受けすぎると意識が低くなるがそれでも時間がある時に自然を感じられる場所に出掛けるのは本能か。葉山に居を構える人が増えていることもその表れであろう。

我が家の20歳のプルメリア

編集者から葉山で僕のお気に入りの場所を書く様に言われたが難しい。中華一番で紹興酒を飲みながら餃子を喰らう時、いや青羅で前菜をつまみながらの時間。磯で玉という貝拾い、浜で寝転がっているのも良し。山の散歩、魚佐の煮魚、久楽のバーカウンター、旭屋での買い物。パッパニーニョでダラ。要はその時々で気軽に楽しめる場所であり、そのすべての時間がが重なり合って僕の好きな”葉山時間”。

窓際に置くと部屋の中にハート模様。

余談だが僕の仕事場は “HART OF NATURE“ という名前である。自然の心。やっぱり僕は自然と喰らい呑むことが大好きだ。今月も剣岳に散歩に行って、山小屋の主人との時間を楽しんでくる。

そこにも ”葉山時間” があるから。

 

 

イラスト (上)ゲッコウを探して!(下) heart of natureの空飛ぶ犬!

honolulu,bishop museumはハワイ、南太平洋の動植物、考古学、文化の世界最高峰の研究所でもあります

プロフィール
HEART OF NATURE
商業施設、住宅等の計画デザイン、絵描き、ファブリックデザインを主にデザイン、アートワークを楽しんでいる。好奇心100%。
CONTACT
Email: hawaiianflowers@mac.com  

                                              

Column 一覧